新サレルノ養生訓 第7回 3-5 1年の月(4月〜6月)

サレルノ養生訓とは

イタリア料理が好きな方や、地中海式ダイエットに関心をもたれる方の中には、「サレルノ養生訓」という本があることをお聞きになった方もいることでしょう。サレルノは南イタリア、カンパーニャ州にある都市で、ナポリの南東50キロに位置する有名な保養地です。学問の地としての歴史は古く、八世紀にはヨーロッパ最古の医学校が創設され、広く病気療養、保養の人を集めて「ヒポクラテスの町」とも称されました。イギリスやフランスの王族も治療のためにこの地を訪れたと言われます。

そのサレルノ医学校の創設後、十一世紀末には医学校の校長を中心に小さな衛生学の読本が作られました。それは全編ラテン語の詩の形をとって書かれ、食を中心に入浴法や睡眠など、生活習慣に関する注意事項を予防医学の見地から、一般大衆にもわかりやすく解説したものでした。

これが「サレルノ養生訓」です。現代イタリアでも、ある年齢以上の世代では、幼少時より親からそのラテン語詩を聞かされて育った人がいるとのことです。サレルノ養生訓の原典は、十四世紀スペインの医師•哲学者であるビッラノーバが注解した360行のラテン語文とされ、その後増補されて最終的に3520行まで膨らみ、またサレルノ医学校の名声が上がると共に、英語、イタリア語、フランス語など各国語に翻訳されて、広くヨーロッパ中に流布しました。

春の地中海

春の地中海

新訳サレルノ養生訓について

2001年に私が訳解した日本語版サレルノ養生訓(柴田書店刊)に用いたテキストは、1607年に刊行された英語版(通称ハリントン版、エリザベス一世に仕えた思想家ハリントン卿による英訳)です。この日本語版サレルノ養生訓は幸い多くの方に親しんでいただきましたが、再版のめどが立たず今日に至りました。そして数年前のこと、イタリア食文化に造詣が深い文流会長西村暢夫氏から、自身所持されるイタリア語版養生訓にハリントン英語版(2001年の日本語版)にない記載があることをお聞きし、併せてイタリア語版からの新訳を考えてはどうかという提案をいただきました。

英語版とイタリア語版の養生訓の記述に差異が生じたのは、養生訓成立に関わる複雑な事情があります。中世以降イタリア語を含めて主要な言語に訳された養生訓は、時代とともにラテン語原典の内容が膨らむことで異本や外典が生じ、次に各国語に翻訳される過程で、その国の歴史や時代背景からも影響を受けて訳者による異訳が生じたことで、各版の間で記述に違いが認められたと考えられます。ところで、ヨーロッパ食文化の二大潮流は、ギリシア•ローマ型とケルト•ゲルマン型に大別(M.モンタナーリ)され、このたびイタリア語翻訳者の森田朋子氏の協力を得て、ギリシア•ローマの流れを引くイタリア語版からの新訳が可能となり、出版前に当サイト上で少しずつ公開する運びとなりました。ハリントンの英語版との比較も興味深いところです。

今回訳者の森田氏は、新訳養生訓のテキストに現代イタリア語訳であるシンノ版(Mursia社刊)に採用されたラテン語(デ•レンツィ校訂によるラテン語完全版、3520行からなる)を用いています。1876年サレルノに生まれたアンドレア•シンノ博士は、博物学•農学を修め、科学教師や図書館員の職に就きながら、郷土史とサレルノ医学校の研究を行い、1941年サレルノ養生訓の注釈付き翻訳書を著しました。森田氏と私の間で協議し、今回の新訳にあたりシンノ氏の注解を参照しながらあくまでラテン語原典を尊重し、さらに時代とともに膨らみ豊かになった記載を盛り込んで、現代日本の読者により興味を持てる内容とすることを取り決めました。

以上、前置きが長くなりましたが、この11月から当サイト上に、新訳サレルノ養生訓を連載いたしますので、楽しみにして下さい。

ウェルネスササキクリニック 佐々木 巌

訳者略歴

森田朋子(もりた・ともこ)

京都市出身・在住。京都光華女子大学在学中、古典ラテン語を故・松平千秋教授に学ぶ。シエナ外国人大学にて第二段階ディプロマ(イタリア語・イタリア文学専攻)取得後、イタリア語翻訳・通訳業に従事。主訳書『イタリア旅行協会公式ガイド①~⑤巻』(NTT出版・共訳)。
解説者略歴

佐々木 巌(ささき・いわお)

ウェルネスササキクリニック院長、医学博士。専攻は内科学、呼吸器病学、予防医学。長年外来診療や講演活動を通じて地中海式ダイエットの啓蒙と普及にあたる。近著に地中海式ダイエットの魅力と歴史、医学的効果をわかりやすく解説した「美味しくて健康的で太らないダイエットなら地中海式」(大学教育出版)がある。

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3-5 1年の月

  • 4 4月

4月は春、内に持てる力を発揮します。

あらゆるものが再生し、地上の孔が開きます。

この頃は血が熱くなり、新鮮になり、増加します。

ですからお腹を緩めて血液を減らすようにします。

お腹は下させ、足の血を減らすべきです。

春は寒さで緩慢になった大地の力を目覚めさせます。

この頃には皮膚は、毛穴が開いているので、柔らかです。

この頃は体内はより膨張し、あらゆるもので満ちています。

自分のお腹を下し、血管を切開するとよいでしょう。

  • 5 5月

5月には、心おきなく便秘薬を治療に用いて結構です。

血管を切開しなさい。気持ちのよい入浴をしなさい。

入浴は体によい物質か、香辛料を加えたものにしなさい。

ニガヨモギで体を洗い、ヤギのミルクで煮た物を食べなさい。

すべてが花咲き、1年のうちでも非常に美しい時期です。

この時は誰もかもがよりゆったり過ごしたいと思っています。

入浴を励行しなさい。薬をきちんと飲むこと。

また血液が放たれ、血管から流れ出すようにすること。

  • 6 6月

6月にはハチミツ水は、飲む人の体調を崩します。

また新しいビールを飲むのも避けましょう。

胆汁が害をなすことのないよう、適度に休息をとるのがいいでしょう。

レタスの葉を食べ、絶食状態で泉の水を飲みなさい。

6月はみずみずしいハーブを愛で、食用とします。

この時期には、活発な体液に仇をなすものは避けなさい。

歓喜と、優しさに満ちた快楽があなたの精神に新たな命を与えますように。

また、薬があなたの肉体を損なうことがありませんように。

解説

春は生きとし生けるものが目覚める季節です。それまで地面の下に姿を隠していた生物がうごめき、地面に穴があいて、虫やら植物の新芽やらが飛び出してきます。人の毛穴が開くのは、体液が増えて代謝が活発になっている証拠です。穏やかな陽気のために気分は高揚し、体液の作用も活発になります。4月に推奨される瀉血治療は膨張した体液を浄化するために、春に盛んに行われました。四体液説によると、春、大気は温かく湿ったものになり、体液中の血液が増えると考えられました。実際、春には頬は赤らみ軽く脈を打つなど血液の増加による多血症の症状が現れます。この盛んになった体液の作用を是正し心臓の負担を取り除くために瀉血を行ったのですが、健康維持のための一般療法として、また化膿性扁桃炎、癲癇、卒中、痛風などの治療目的でも瀉血が行われました。

体液の是正には、瀉血以外に下剤や吐瀉剤を用いた薬物治療があり、より穏和な治療法として入浴や食事療法があります。瀉血に加えて下剤を用いること、入浴によって心地よい発汗を促すことが5月の処方です。5月の入浴時には強壮作用のある薬草を煎じた汁を用いることが奨励されました。ニガヨモギはキク科ヨモギ属の多年草で、胃と胆嚢に強い強壮作用をもつ植物です。また抗炎症、駆虫、抗うつ作用のあることが知られています。今日ニガヨモギはリキュール、ハーブ酒に苦みを添えるために用いられます。ベルモットはニガヨモギなどの香草や香辛料を白ワインに加えて作られ、甘いイタリア産ベルモットとドライなフランス産があります。

ヤギのミルク。春の香り高い青草を食べたヤギの乳は栄養価が高く、消化もしやすいのですが、それは牛乳と比べてヤギの乳が分子量の小さな脂肪酸を多く含むからです。さて6月になると、暑い夏を控えて水分の摂取の注意が必要です。水気の多いレタス、みずみずしいハーブを食べて、清らかな泉の水を飲みなさいと説かれます。レタスの歴史は古く、古代ギリシア、ローマ人は野菜としても薬としても高い評価を与えていました。レタスは食欲を刺激する一方で鎮痛作用を有し、鎮静剤としての効果もあります。また、アルコール度の低いハチミツ水や発酵が不十分な真新しいビールを飲むことは控え、快活な生活と節度をわきまえた楽しみごとはよいが、激しい営みは避けなければいけません。胆汁とは夏場に増えてくる黄胆汁(熱•乾の性質を持つ)のことで、これからこの胆汁の勢いが増して活発になってくるので、冷えた汁気の多い食事を摂るように心がけなければいけません。

※新サレルノ養生訓の無断転載及び引用を固く禁止します。

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