新サレルノ養生訓 第24回 「第9項 食用になる草について(前半)」

サレルノ養生訓とは

イタリア料理が好きな方や、地中海式ダイエットに関心をもたれる方の中には、「サレルノ養生訓」という本があることをお聞きになった方もいることでしょう。サレルノは南イタリア、カンパーニャ州にある都市で、ナポリの南東50キロに位置する有名な保養地です。学問の地としての歴史は古く、八世紀にはヨーロッパ最古の医学校が創設され、広く病気療養、保養の人を集めて「ヒポクラテスの町」とも称されました。イギリスやフランスの王族も治療のためにこの地を訪れたと言われます。

そのサレルノ医学校の創設後、十一世紀末には医学校の校長を中心に小さな衛生学の読本が作られました。それは全編ラテン語の詩の形をとって書かれ、食を中心に入浴法や睡眠など、生活習慣に関する注意事項を予防医学の見地から、一般大衆にもわかりやすく解説したものでした。

これが「サレルノ養生訓」です。現代イタリアでも、ある年齢以上の世代では、幼少時より親からそのラテン語詩を聞かされて育った人がいるとのことです。サレルノ養生訓の原典は、十四世紀スペインの医師•哲学者であるビッラノーバが注解した360行のラテン語文とされ、その後増補されて最終的に3520行まで膨らみ、またサレルノ医学校の名声が上がると共に、英語、イタリア語、フランス語など各国語に翻訳されて、広くヨーロッパ中に流布しました。

新訳サレルノ養生訓について

2001年に私が訳解した日本語版サレルノ養生訓(柴田書店刊)に用いたテキストは、1607年に刊行された英語版(通称ハリントン版、エリザベス一世に仕えた思想家ハリントン卿による英訳)です。この日本語版サレルノ養生訓は幸い多くの方に親しんでいただきましたが、再版のめどが立たず今日に至りました。そして数年前のこと、イタリア食文化に造詣が深い文流会長西村暢夫氏から、自身所持されるイタリア語版養生訓にハリントン英語版(2001年の日本語版)にない記載があることをお聞きし、併せてイタリア語版からの新訳を考えてはどうかという提案をいただきました。

英語版とイタリア語版の養生訓の記述に差異が生じたのは、養生訓成立に関わる複雑な事情があります。中世以降イタリア語を含めて主要な言語に訳された養生訓は、時代とともにラテン語原典の内容が膨らむことで異本や外典が生じ、次に各国語に翻訳される過程で、その国の歴史や時代背景からも影響を受けて訳者による異訳が生じたことで、各版の間で記述に違いが認められたと考えられます。ところで、ヨーロッパ食文化の二大潮流は、ギリシア•ローマ型とケルト•ゲルマン型に大別(M.モンタナーリ)され、このたびイタリア語翻訳者の森田朋子氏の協力を得て、ギリシア•ローマの流れを引くイタリア語版からの新訳が可能となり、出版前に当サイト上で少しずつ公開する運びとなりました。ハリントンの英語版との比較も興味深いところです。

今回訳者の森田氏は、新訳養生訓のテキストに現代イタリア語訳であるシンノ版(Mursia社刊)に採用されたラテン語(デ•レンツィ校訂によるラテン語完全版、3520行からなる)を用いています。1876年サレルノに生まれたアンドレア•シンノ博士は、博物学•農学を修め、科学教師や図書館員の職に就きながら、郷土史とサレルノ医学校の研究を行い、1941年サレルノ養生訓の注釈付き翻訳書を著しました。森田氏と私の間で協議し、今回の新訳にあたりシンノ氏の注解を参照しながらあくまでラテン語原典を尊重し、さらに時代とともに膨らみ豊かになった記載を盛り込んで、現代日本の読者により興味を持てる内容とすることを取り決めました。

以上、前置きが長くなりましたが、この11月から当サイト上に、新訳サレルノ養生訓を連載いたしますので、楽しみにして下さい。

ウェルネスササキクリニック 佐々木 巌

訳者略歴

森田朋子(もりた・ともこ)

京都市出身・在住。京都光華女子大学在学中、古典ラテン語を故・松平千秋教授に学ぶ。シエナ外国人大学にて第二段階ディプロマ(イタリア語・イタリア文学専攻)取得後、イタリア語翻訳・通訳業に従事。主訳書『イタリア旅行協会公式ガイド①~⑤巻』(NTT出版・共訳)。
解説者略歴

佐々木 巌(ささき・いわお)

ウェルネスササキクリニック院長、医学博士。専攻は内科学、呼吸器病学、予防医学。長年外来診療や講演活動を通じて地中海式ダイエットの啓蒙と普及にあたる。近著に地中海式ダイエットの魅力と歴史、医学的効果をわかりやすく解説した「美味しくて健康的で太らないダイエットなら地中海式」(大学教育出版)がある。

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第9項 食用になる草について

 

9-1.春の菜

 

春に青々とするものはみな体によいと言われていますが

特筆すべきはカッコウチョロギ、レタス、ホウレンソウ、キクニガナ、

ホップにキャベツです。パセリとワセスイバもここに加えなさい。

 

 

9-2.夏の菜

 

アオゲイトウにフダンソウ、ニオイスミレ、ナツシロギク、

ヤマホウレンソウ(ハマアカザ)、ハイアオイ(コモンマロウ)、レタス、

セリ科の植物、カブ、バウキア(野生のパースニップ)、それにパースニップです。

 

 

9-3.冬の菜

 

冬至の頃のキンレンカ、セルフィーユ、ネペタ、クリタモに

玉ねぎ、ポロネギを加えたもの

 

 

9-4.秋の菜

 

ああ、善良なるボリジよ、お前の恵みのなんと甘やかなこと!

ボリジの言うには:私はいつでも喜びを放っています。

ボリジは胃腸や心臓の患いを取り除き、喜びをもたらします。

 

 

9-5.カブラ

 

カブラは胃に効きますが、ガスを生むすべも心得ています。

利尿作用があり、歯に破滅をもたらします。

もし十分火を通さずに与えられると、カブラは閉塞の原因になります。

十分に熱さない状態で供されると、お腹に

よじれるような痛みがもたらされます。

カブラの根は食するによく、3つの恵みをもたらします。

視力を明敏にし、お腹を軟らかくし、ガスがたくさん出ます。

もしあなたがカブラを食べて暮らそうと思えば、しばしばガスを得るでしょう。

 

 

9-6.キャベツ

 

キャベツのスープは緩くし、キャベツそのものは秘結させます。

双方が共に与えられた場合は、お腹は緩くなる傾向があります。

 

 

9-7.フダンソウ、別名チクラ

 

フダンソウはさほど滋養がなく、お腹を秘結させます。また、

この草の、加熱(調理)したものが与えられれば、お腹を緩くすることが

観察されます。

 

 

9-8.レタス

 

レタスは乳となり、目眩、精液を減少させます。

その種で身持ちの悪い者たちを助け、聖なる火に適しています。

レタスは食べ物としては人間の体をほどよく冷やし

お腹を楽にするので、寝る時も安眠できます。

エスカロールは繊細で、エンダイブ(キクヂシャ)は

葉裏がチクチクしています。

 

 

9-9.パースニップ

 

パースニップは栄養に乏しく、消化されるとたちまち

セックスを盛んにし、月のものに対しても黙ってはいません。

パスティナーカと呼ばれているのは、食事(パストゥス)を称揚するからで、

実際、おいしい食べ物を提供することにかけては、これに優る根菜はありません。

 

 

9-10.ホウレンソウ

 

ホウレンソウは胆汁にやられた口や熱くなった胃に適しています。

これを食べることは愛好されるだけの価値があります。

 

 

9-11.セリ科の植物

 

セリ科の植物は全身と、頭と、子宮の体液にたちどころに効きます。

少年たちにはてんかんを引き起こします。

 

 

9-12.アオゲイトウ

 

アオゲイトウは適切な体液を生みだし

結核患者をうるおし、喉の渇いた人の面倒を見ます。

 

 

9-13.チコリ

 

チコリ、またの名をソルセクィウム(=太陽を追うもの)、 キクヂシャ、太陽の花嫁。

 

 

 

解説

 

穀物、肉、魚、乳製品などいろいろな食べ物の話に続いて、養生訓第1部第9章、最後の第9項では食用になる植物が語られます。この項は四季を彩るさまざまな食用植物の紹介から始まります。シンノ版の底本にあるレンツィのラテン語原文では9-1. Olera verisとあり、字義どおりには、春の野草、と訳されます。原語のolera(イタリア語ではerba)は、木でも灌木でもない野草のこと。春の野草、夏の野草と続き、野菜や果物、木の実が登場したあとで、第2部に入り、いよいよ養生訓の中核をなす薬草とその医学的効用に話題が移行します。その薬草への前段階として、草とも野菜とも分類しがたい食用の植物が今回のテーマです。このoleraを訳者の森田氏は、当初、野草ではなく草と訳しました。日本語の草には、春の七草のように、スズシロ(大根)やスズナ(カブラ)など、単なる野草でない食用植物が含まれるからです。しかし最終的に菜とすることで落ち着きました。草には食べられないものが含まれますが、菜は食用となる草本類を指すというのがその理由です。

 

そんな訳で、まずは春の菜について。おなじみの野菜もありますが、一般の日本人には馴染みの少ないと思われる野草を拾ってみます。春に青々するものは体によいと考えるのはもっともなこと。古代医学では春に増えると考えられた体液の血液を浄化し、さらに抗炎症作用、利尿作用のある菜が並びます。カッコウチョロギはシソ科イヌゴマ属の多年草で、広くヨーロッパに分布し、夏にピンク色の花を咲かせ、濃い緑の葉をもむと香りが生まれます。古来、頭痛の薬草として用いられました。キクニガナはキク科キクニガナ属の多年草で、別名チコリ。肝臓や消化管の苦味強壮剤です。ビールに苦味と香りをもたらすホップ(クワ科フムルス属)は、血液を浄化し炎症を鎮めると考えられていました。ワセスイバ(タデ科ギシギシ属)の葉はビーツに似ますが、小ぶりで、かつて利尿剤、赤痢の薬として用いられました。

 

続く夏の菜のアオゲイトウ(ヒユ科ヒユ属)は粘液分泌植物で、下剤作用があります。ニオイスミレ(スミレ科スミレ属)は甘い香りを放ち、花は生のままサラダで味わえますが、その花を煎じたものは鎮咳剤として用いられました。風邪の際に、喉の炎症を鎮めるハーブティーでおなじみのコモンマロウ(アオイ科ゼニアオイ属)はピンクや藤色の花を持つ二年生植物で、紀元前8世紀から食べられている健康野菜。キク科タンジー属のナツシロギクはヒナギクに似た愛らしい花を付け、erba amara(苦い草)とも呼ばれ、解熱剤、駆虫剤の作用があります。セリ科でニンジンに似た根菜のパースニップはヨーロッパ原産。食感はカブに似て、葉は同科のセロリに似ています。炭水化物の含有量はニンジンより高く、月経の働きを助けて利尿作用もあります。

 

冬の菜に登場するキンレンカ(別名ナスタチウム、ノウゼンハレン属)は、南米原産。鮮やかなラッパ型の花をもち、花や葉はぴりっとした味を持ち、ビタミンCを含むのでサラダに用いるとよく、セルフィーユ(別名チャーヴィル、セリ科シャク属)は芳香の強い薬草として、料理と治療に用いられ、消化を安定させます。シソ科イブキジャコウソウ属のネペタは、ツンとくる強烈な香りで知られ、煎じ汁は駆虫剤として用いられました。クリタモ(セリ科クリスムム属マリチムム種)は、クレタ島のリーキとも呼ばれ、クレタ島などの海辺の岩場に生育する草で、ビタミンC、無機物を多く含み利尿効果があります。英国の薬草治療家ジェラードは、肉の消化、結石治療によいと述べています。

 

ムラサキ科ルリジサ属のボリジ(ルリジサ)は地中海ではありふれた野草。純毛に覆われた一年草で、夏に青い花を付けます。その花から採ったシロップは心を慰め、憂鬱を抑えると褒めそやされ(ジェラード)、古代の人々はボリジを心臓の強壮剤として信奉し、医学校も熱烈な賛辞を贈っています。

 

 

9-5、9-6のカブ、キャベツはそれぞれアブラナ科アブラナ属(Brassica)の野菜。カブの葉はスズナとして春の七草に数えられ、その青菜にはカロチンやビタミンCが豊富ですが、含まれる硫黄分が腸内ガスを発生させます。肥大した根の部分が主な可食部で、寒い冬に甘味が増し、日本では伝統野菜の一つ。固いため生食には不向き(ガス発生)で、煮ると柔らかくなります。野生のキャベツは地中海原産。ギリシア神話ではゼウスの汗より生まれた野菜で、妊娠中の女性に与えると母乳の出がよくなる、胃腸の調子を整える、アルコールに対する解毒作用により二日酔いを和らげる、その葉をパップ剤として用いると腫れ物や潰瘍を治すと多彩な薬効が知られています。

 

9-8のレタスはキク科アキノノゲシ属チシャ科。野生のレタスはエンダイブと呼ばれ、エスカロールはエンダイブの小ぶりなもの。古代ペルシアが原産。レタスは夏の菜のとおり、体を冷まし、安眠をもたらすとされました。これはレタスの切り口から生じる白い浸出液に含まれるラクチュコピクリン(ポリフェノール)の作用です。古代ローマ、アウグストゥス帝の時代、レタスは睡眠、鎮静薬として夕食後に食されたのに、後代には食前に(今日のサラダのように?)食べるようになったのはなぜかと、古代ローマ詩人のマルティアリスが風刺しています。遠い昔、この催眠効果とは別に、レタスを常食することで性欲が減退するとも信じられていました。

 

9-11のセリ科の植物の代表格はセロリ(セリ科オランダミツバ属)です。学名Apium graveolensのapio/apiumを編者のシンノ氏はセロリとしていますが、ラテン語ではセロリ、パセリなど、セリ科植物の総称を意味します。古い医学では、セロリの根部分には、同じセリ科のパセリ(オランダゼリ属)やフェンネル(ウイキョウ属)などと同様に利尿作用があり、またその種子には、パセリやセリ(セリ属)のように穏やかに体を温める作用があると信じられていました。ちなみに春の七草のひとつであるセリは、西洋では食べる習慣がありませんが、その香り成分には体温上昇、発汗作用があることがわかっています。さて、今日セロリの緩下作用、利尿作用はその種子成分にあり、食用される茎部分の薬用的価値は低いとされています。また種子から採れる精油には鎮静作用と抗痙攣作用があり、少年にてんかんを引き起こすという養生訓の記載の根拠は不明です。

※新サレルノ養生訓の無断転載及び引用を固く禁止します。

 

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