新サレルノ養生訓 第25回 「第9項 食用になる草について(続き)」

サレルノ養生訓とは

イタリア料理が好きな方や、地中海式ダイエットに関心をもたれる方の中には、「サレルノ養生訓」という本があることをお聞きになった方もいることでしょう。サレルノは南イタリア、カンパーニャ州にある都市で、ナポリの南東50キロに位置する有名な保養地です。学問の地としての歴史は古く、八世紀にはヨーロッパ最古の医学校が創設され、広く病気療養、保養の人を集めて「ヒポクラテスの町」とも称されました。イギリスやフランスの王族も治療のためにこの地を訪れたと言われます。

そのサレルノ医学校の創設後、十一世紀末には医学校の校長を中心に小さな衛生学の読本が作られました。それは全編ラテン語の詩の形をとって書かれ、食を中心に入浴法や睡眠など、生活習慣に関する注意事項を予防医学の見地から、一般大衆にもわかりやすく解説したものでした。

これが「サレルノ養生訓」です。現代イタリアでも、ある年齢以上の世代では、幼少時より親からそのラテン語詩を聞かされて育った人がいるとのことです。サレルノ養生訓の原典は、十四世紀スペインの医師•哲学者であるビッラノーバが注解した360行のラテン語文とされ、その後増補されて最終的に3520行まで膨らみ、またサレルノ医学校の名声が上がると共に、英語、イタリア語、フランス語など各国語に翻訳されて、広くヨーロッパ中に流布しました。

新訳サレルノ養生訓について

2001年に私が訳解した日本語版サレルノ養生訓(柴田書店刊)に用いたテキストは、1607年に刊行された英語版(通称ハリントン版、エリザベス一世に仕えた思想家ハリントン卿による英訳)です。この日本語版サレルノ養生訓は幸い多くの方に親しんでいただきましたが、再版のめどが立たず今日に至りました。そして数年前のこと、イタリア食文化に造詣が深い文流会長西村暢夫氏から、自身所持されるイタリア語版養生訓にハリントン英語版(2001年の日本語版)にない記載があることをお聞きし、併せてイタリア語版からの新訳を考えてはどうかという提案をいただきました。

英語版とイタリア語版の養生訓の記述に差異が生じたのは、養生訓成立に関わる複雑な事情があります。中世以降イタリア語を含めて主要な言語に訳された養生訓は、時代とともにラテン語原典の内容が膨らむことで異本や外典が生じ、次に各国語に翻訳される過程で、その国の歴史や時代背景からも影響を受けて訳者による異訳が生じたことで、各版の間で記述に違いが認められたと考えられます。ところで、ヨーロッパ食文化の二大潮流は、ギリシア•ローマ型とケルト•ゲルマン型に大別(M.モンタナーリ)され、このたびイタリア語翻訳者の森田朋子氏の協力を得て、ギリシア•ローマの流れを引くイタリア語版からの新訳が可能となり、出版前に当サイト上で少しずつ公開する運びとなりました。ハリントンの英語版との比較も興味深いところです。

今回訳者の森田氏は、新訳養生訓のテキストに現代イタリア語訳であるシンノ版(Mursia社刊)に採用されたラテン語(デ•レンツィ校訂によるラテン語完全版、3520行からなる)を用いています。1876年サレルノに生まれたアンドレア•シンノ博士は、博物学•農学を修め、科学教師や図書館員の職に就きながら、郷土史とサレルノ医学校の研究を行い、1941年サレルノ養生訓の注釈付き翻訳書を著しました。森田氏と私の間で協議し、今回の新訳にあたりシンノ氏の注解を参照しながらあくまでラテン語原典を尊重し、さらに時代とともに膨らみ豊かになった記載を盛り込んで、現代日本の読者により興味を持てる内容とすることを取り決めました。

以上、前置きが長くなりましたが、この11月から当サイト上に、新訳サレルノ養生訓を連載いたしますので、楽しみにして下さい。

ウェルネスササキクリニック 佐々木 巌

訳者略歴

森田朋子(もりた・ともこ)

京都市出身・在住。京都光華女子大学在学中、古典ラテン語を故・松平千秋教授に学ぶ。シエナ外国人大学にて第二段階ディプロマ(イタリア語・イタリア文学専攻)取得後、イタリア語翻訳・通訳業に従事。主訳書『イタリア旅行協会公式ガイド①~⑤巻』(NTT出版・共訳)。
解説者略歴

佐々木 巌(ささき・いわお)

ウェルネスササキクリニック院長、医学博士。専攻は内科学、呼吸器病学、予防医学。長年外来診療や講演活動を通じて地中海式ダイエットの啓蒙と普及にあたる。近著に地中海式ダイエットの魅力と歴史、医学的効果をわかりやすく解説した「美味しくて健康的で太らないダイエットなら地中海式」(大学教育出版)がある。

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第9項 食用になる草について(続き)

 

 

14.キノコ類

 

キノコを用いるのは敬遠しなさい。見かけにまどわされてはいけません。

あれらは、死に至る悪をもたらすのですから。

 

 

15.ニンニクとその仲間

 

ニンニクを絶食状態で、朝のうちに食べる人は

素姓の知れない水を飲んだり

あちこち異なるところの水をとっかえひっかえしたりしても

害はありません。

ニンニクは臭気を追い払い、顔つやをよくします。

生でも加熱しても、しわがれた声を明瞭にします。

カラシは眼に、ニンニクは胸に効きます。

 

 

16.タマネギ

 

タマネギについては、医師たちは意見が合わないように見受けられます。

ガレヌスは、胆汁質の人間にはよくないと言いますし

かと思えば、粘液質の人には至極有益だと言っています。

たとえば医師アスクレピウスはこれらを、健康によいと断言しています。

とりわけ胃に効き、血色もよくなります。

あらかじめハチミツと酢を混ぜてすりつぶしてから塗ると

犬に噛まれた時に治るとされています。

髪が抜けたところを刻んだタマネギで

こまめにこすれば、頭部の美観を取り戻すことができるでしょう。

 

 

17.リーキ

 

リーキはしばしば噛むことで、娘たちを子宝に恵まれやすくします。

薬として鼻腔の内側に塗れば、滴り落ちる血を止めてくれます。

リーキは火を通すと、いっそう強力になります。

生ではぞっとしませんし、黄胆汁臭いガスを発生させます。

 

 

 

解説

 

古代エジプト人やローマ人が好んで食べたというキノコが、養生訓の中で悪しざまに非難されているのは、昔からキノコは死につながるといううわさが絶えなかったからでしょう。古代ローマ皇帝クラウディウスが、皇妃アグリッピナに毒キノコを食べさせられて死んだことも理由の一つかも知れません。同時代に「博物誌」を著した大プリニウスは、食用キノコと毒キノコを見分ける綿密な記述を残していますが、食用キノコのほうが毒キノコより何倍も多いとはいえ、それを見分ける知識をもっているのは限られた専門家のみだったので、医学校の医師たちは、民間に伝わる知識でキノコを食べることを禁じたのでしょう。

 

キノコに続く、ニンニク(Allium sativum)、タマネギ(Allium cepa)、リーキ(Allium ampeloprasum)は、すべてユリ科ネギ属の植物です。ニンニクとタマネギは、鱗茎と呼ばれる鱗のような葉が重なり合って層状になった球根部分に、糖分、ビタミンB、Cほかミネラルなどの栄養があって、ともに中央アジア原産で5千年以上の歴史があります。古代エジプトでは王の墓の壁画にニンニクが描かれ、また神への供物としてタマネギが用いられたという記録があり、さらに双方ともピラミッド建設の奴隷に配給された事実からも、当時からニンニクやタマネギは持久力や耐久力を高める特別な野菜とみなされていたことがわかります。

 

今日、その持久力の正体はニンニクやネギに特有なにおい成分であるアリシン(硫化アリル)であることが知られています。アリシンはビタミンB1と結合してアリチアミンになり、ビタミンB1の吸収性と血中保持性を高めます。エネルギー代謝を高め体力増強や疲労回復に欠かせないビタミンB1は豚肉などに多く含まれますが、水溶性で熱に弱い性質があり、アリシンを含むニンニクやタマネギといっしょに調理することで体内への吸収率が高まり、血中の効果が持続するのです。

 

ニンニクはかつてペストに効くと信じられていました。養生訓には素姓の知れない水を飲んだにしても、ニンニクを食べておけば、その消毒、解毒作用によって病を防げると述べられています。古くから知られたこうした殺菌作用も、ニンニク中に含まれるアリシンの働きによるもので、実際アリシンには、風邪や気管支炎の原因になる細菌に対して殺菌、抗菌作用があることがわかっています。アリシンはニンニク、タマネギ、リーキ、ネギ、ニラ、エシャロットなどに含まれ、前述した疲労回復、殺菌作用以外にも、抗炎症作用、抗酸化作用、抗血栓作用などさまざまな作用が知られていますが、養生訓の記述にあるタマネギの毛生え薬としての効果や、リーキの婦人の多産性を高める作用に関しては不明で、ラテン語版編者のシンノ氏によれば、当時そのように信じられていたとのこと。

 

現代医学の観点からもう一つ、今回の養生訓に登場する食品には食物繊維が多い特徴があります。キノコに含まれる水溶性食物繊維であるβグルカンはフィトケミカル(植物性食品に含まれる抗酸化物質)の一種であり、強力な抗酸化作用、さらに免疫賦活作用があり、がん予防に効果が期待できます。一方ニンニクやタマネギ、リーキに含まれる水溶性食物繊維にはイヌリンと呼ばれる多糖類が含まれ、加水分解によりオリゴ糖を生じます。オリゴ糖は腸内細菌が好むエサであることが知られており、タマネギなどを毎日少しずつ食べると、腸内の善玉菌である乳酸菌が増え、腸内フローラ(細菌叢)が改善します。乳酸菌は腸壁の表面を覆うムチン層にくっついて腸粘膜を酸性に保つ働きがあるので、乳酸菌が増えれば、大腸菌など多くの病原菌が増殖することができないというのがその理由です。

※新サレルノ養生訓の無断転載及び引用を固く禁止します。

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