新サレルノ養生訓 第26回 1部9章10「果実」

サレルノ養生訓とは

イタリア料理が好きな方や、地中海式ダイエットに関心をもたれる方の中には、「サレルノ養生訓」という本があることをお聞きになった方もいることでしょう。サレルノは南イタリア、カンパーニャ州にある都市で、ナポリの南東50キロに位置する有名な保養地です。学問の地としての歴史は古く、八世紀にはヨーロッパ最古の医学校が創設され、広く病気療養、保養の人を集めて「ヒポクラテスの町」とも称されました。イギリスやフランスの王族も治療のためにこの地を訪れたと言われます。

そのサレルノ医学校の創設後、十一世紀末には医学校の校長を中心に小さな衛生学の読本が作られました。それは全編ラテン語の詩の形をとって書かれ、食を中心に入浴法や睡眠など、生活習慣に関する注意事項を予防医学の見地から、一般大衆にもわかりやすく解説したものでした。

これが「サレルノ養生訓」です。現代イタリアでも、ある年齢以上の世代では、幼少時より親からそのラテン語詩を聞かされて育った人がいるとのことです。サレルノ養生訓の原典は、十四世紀スペインの医師•哲学者であるビッラノーバが注解した360行のラテン語文とされ、その後増補されて最終的に3520行まで膨らみ、またサレルノ医学校の名声が上がると共に、英語、イタリア語、フランス語など各国語に翻訳されて、広くヨーロッパ中に流布しました。

新訳サレルノ養生訓について

2001年に私が訳解した日本語版サレルノ養生訓(柴田書店刊)に用いたテキストは、1607年に刊行された英語版(通称ハリントン版、エリザベス一世に仕えた思想家ハリントン卿による英訳)です。この日本語版サレルノ養生訓は幸い多くの方に親しんでいただきましたが、再版のめどが立たず今日に至りました。そして数年前のこと、イタリア食文化に造詣が深い文流会長西村暢夫氏から、自身所持されるイタリア語版養生訓にハリントン英語版(2001年の日本語版)にない記載があることをお聞きし、併せてイタリア語版からの新訳を考えてはどうかという提案をいただきました。

英語版とイタリア語版の養生訓の記述に差異が生じたのは、養生訓成立に関わる複雑な事情があります。中世以降イタリア語を含めて主要な言語に訳された養生訓は、時代とともにラテン語原典の内容が膨らむことで異本や外典が生じ、次に各国語に翻訳される過程で、その国の歴史や時代背景からも影響を受けて訳者による異訳が生じたことで、各版の間で記述に違いが認められたと考えられます。ところで、ヨーロッパ食文化の二大潮流は、ギリシア•ローマ型とケルト•ゲルマン型に大別(M.モンタナーリ)され、このたびイタリア語翻訳者の森田朋子氏の協力を得て、ギリシア•ローマの流れを引くイタリア語版からの新訳が可能となり、出版前に当サイト上で少しずつ公開する運びとなりました。ハリントンの英語版との比較も興味深いところです。

今回訳者の森田氏は、新訳養生訓のテキストに現代イタリア語訳であるシンノ版(Mursia社刊)に採用されたラテン語(デ•レンツィ校訂によるラテン語完全版、3520行からなる)を用いています。1876年サレルノに生まれたアンドレア•シンノ博士は、博物学•農学を修め、科学教師や図書館員の職に就きながら、郷土史とサレルノ医学校の研究を行い、1941年サレルノ養生訓の注釈付き翻訳書を著しました。森田氏と私の間で協議し、今回の新訳にあたりシンノ氏の注解を参照しながらあくまでラテン語原典を尊重し、さらに時代とともに膨らみ豊かになった記載を盛り込んで、現代日本の読者により興味を持てる内容とすることを取り決めました。

以上、前置きが長くなりましたが、この11月から当サイト上に、新訳サレルノ養生訓を連載いたしますので、楽しみにして下さい。

ウェルネスササキクリニック 佐々木 巌

訳者略歴

森田朋子(もりた・ともこ)

京都市出身・在住。京都光華女子大学在学中、古典ラテン語を故・松平千秋教授に学ぶ。シエナ外国人大学にて第二段階ディプロマ(イタリア語・イタリア文学専攻)取得後、イタリア語翻訳・通訳業に従事。主訳書『イタリア旅行協会公式ガイド①~⑤巻』(NTT出版・共訳)。
解説者略歴

佐々木 巌(ささき・いわお)

ウェルネスササキクリニック院長、医学博士。専攻は内科学、呼吸器病学、予防医学。長年外来診療や講演活動を通じて地中海式ダイエットの啓蒙と普及にあたる。近著に地中海式ダイエットの魅力と歴史、医学的効果をわかりやすく解説した「美味しくて健康的で太らないダイエットなら地中海式」(大学教育出版)がある。

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  • 10 果実

1.クルミ

 

魚の後にはクルミがあり、肉の後にはチーズが来るべきです。

目一杯の生(き)のワインにはリンゴが、毒にはクルミが薬となります。

クルミは1つだけなら前進させ、2つ目は害を及ぼし、3つ目は死です。

クルミは3つより1つの方が値打ちがあると私は考えます。

 

 

2.ナシとリンゴ

 

ナシにはワインを一口添えなさい。これは実際解毒の薬です。

当地のナシの木にはナシがなります。ワインが飲まれなければナシは体に悪いのです。

加熱してあればナシは解毒剤ですが、生では毒です。

生だと胃にもたれますが、調理してあれば、もたれ感を取り除きます。

ナシの後にはリンゴを出しなさい。リンゴの後では用足しに行きなさい。

ナシは、食物の後に摂ると秘結させ、後だと通じさせます。

ナシは食用になりますが、その後はよいワインに後を追われるべきです。

マルメロを生で食べると、肛門は放屁します。

加熱してあれば、その場合は食物にして薬です。

リンゴはどれもこれも、アッピア・サレルニタナ以外は、体に毒です。

リンゴを食べるときは、てっぺんから皮をむき始めなさい。

ナシを食べるときは、まずてっぺんからぐるぐると回しなさい。

回りの皮を取り、その後で果肉を食べなさい。芯は相手にしなくてよろしい。

モモ、ナシ、リンゴは皮つきのほうがさらに美味です。

 

 

3.サクランボ

 

サクランボは食べると、次の3つのことをあなたにもたらします。

胃をきれいにしますし、種は石を取り除いてくれます。

そして果肉からは最上の血液が作られます。

 

4.プラム

 

プラムは体を冷やし、緊張をほぐし、喉の渇きを鎮めます。

 

 

5.ブラックベリー

 

ブラックベリーは喉の渇きを取り去り、喉と口蓋垂の調子を取り戻します。

 

 

6.モモ、レーズン、ブドウ

 

古い(乾いた)モモは体を丈夫にし、封じ込め、秘結させ、冷やし、そして力を蓄えます。

ブドウ果汁にモモを浸したものが供されたら、節度を持って飲みなさい。よくブドウの房をクルミと合わせるのと同じように。

レーズンは脾臓に悪いですが、咳には効果があり、腎臓にはよいです。

ブドウの効能は、種も皮も取り除いて与えると、喉の渇きを鎮め、肝臓と黄胆汁の熱を下げてくれることです。

 

 

7.イチジク

 

イチジクは胸の痛みを和らげ、お腹を弛緩させます。それは生で供されてもよく加熱してあっても同じです。

さまざまな腫れものを肥大させ、養い、また治します。

腺病、腫れもの、腺は、イチジクを湿布すると治ります。

それにケシを加えると、骨のかけらを体外に押し出します。

イチジクはシラミに加えて欲情をわかせ、何者もそれを阻止できません。

 

 

8.ビワ

 

ビワは尿の量を増やし、お腹を秘結させます。

固いものも美味ですが、柔らかいものはなおさらです。

9.ザクロ

 

ザクロは発汗を促し、熱くなったものを和らげて醒まします。

ザクロの皮はプシディア、花はバラウスティアと呼ばれます。

 

 

10.クリ

 

食前のクリは秘結させ、食後のクリは緩めます。

 

 

11.アーモンド

 

苦味のないアーモンドは、賞賛に値する食べ物です。

 

 

 

解説

 

今回の養生訓ではナッツと果物を取り上げます。クルミ、クリ、アーモンドなどの種実類は殻果類とも言われ、殻に覆われた果実とみることもできます。どちらも地中海地方の日々の食卓に欠かせない食材ですが、残念ながら日本ではナッツはお菓子の食材とみなされ、果物にいたっては日常まったく食べる習慣のない人もいます。地中海式と呼ばれる食事のスタイルは、主食は穀類を日々の主たるエネルギー源としてその活動量に応じてとり、副菜は彩り豊かな野菜、豆類やキノコ類から選び、主菜としては脂の多い肉よりも魚の優先度が高いなど、和食との類似性も多く認められますが、ナッツと果物の摂り方には大きな相違点があると言えます。

 

 

西洋社会では、古代よりナッツは貴重な保存食として利用され、中世では王侯貴族の嗜好品として重用されました。日本でも縄文時代の遺跡から貯蔵されたナッツが見つかり、稲作開始以前はコメに代わる主食として、以後は穀物不足の際の代用品として重要な食べ物だったのです。実際ナッツは栄養価の大変すぐれた食品です。クルミやアーモンドは植物性たんぱく質を20%ちかく含み、動物性たんぱく質に偏りがちな現代人には大豆などの豆類とともに貴重なたんぱく源です。しかし最大の特徴は栄養素の50%以上を脂質が占め、その大半がオリーヴオイルと同じオレイン酸(一価不飽和脂肪酸)であること。そこでナッツは良質な油の原料にもなります。さらにナッツはビタミンB1、ビタミンE、マグネシウム、亜鉛、銅など通常の植物性食品には含まれない栄養素が豊富です。こうした優れた栄養学的特徴を裏付けるように、地中海式の食事ではオリーヴオイルと同様にナッツをよく摂る人の新規の心臓病発症リスクが30%も低下するという研究報告があります。まことにナッツは「賞賛に値する食べ物」なのです。

 

 

養生訓に話を戻しましょう。クルミ科クルミ属のクルミは、温かく乾いた性質(温乾性)を持つので魚(冷湿性)の後に食べるのがよいと考えられました。それと対照的に温湿性の性質を持つ肉の後には冷乾性のチーズを食べるのがよいとされたのです。西欧で食後にチーズを食べる習慣はこうした出来上がりました。クルミの摂取量については不思議な記載がありますが、一つ目のクルミは安心な地元産、二つ目は毒性があるかもしれない異国産、三つ目は有毒なクルミという解釈(ヴィラノーバ)があります。バラ科サクラ属のアーモンドはビターアーモンドとスイートアーモンドに分類され、前者は苦みのもととなる有毒物質を含み、現在はそのまま食べる機会はなく、有毒物質を除去した精油が菓子作りなどの香料として使われています。古代医学では苦みのあるアーモンドは酔いに対する処方として用いられたとのこと。ドングリの仲間であるクリはブナ科クリ属。ギンナンと同様、ナッツの中では例外的に栄養素の半分が糖質で、ガレノスは野生の実のうちで体の栄養になるのはクリだけであると述べています。

 

 

養生訓に登場する果物は、ブドウ、イチジク、ザクロを除いて全てバラ科に属します。ナシ、リンゴ、マルメロはバラ科の灌木になる果実で温暖な地方で生産されます。バラ科リンゴ属のリンゴは南西アジア、バラ科ナシ属のナシは中央アジア、同じくバラ科マルメロ属のマルメロはイランが原産地とされ、これらの果物は仁果類に属し、種とそれを包む羊皮状の心皮からなる芯を果肉が包んでいます。現代医学はリンゴに含まれる食物繊維のペクチンが動脈硬化や糖尿病、大腸がんの予防に役立つことを明らかにしており、さらに天然の整腸剤と呼ばれるリンゴには、リンゴ酸の働きによって胃の消化作用を整える働きもあって、昔から一日一個のリンゴで医者いらずと言われたのも納得できます。西洋ナシも歴史が古く、多汁で柔らかく香りのよいのが特徴ですが、元来、不消化でガスの発生をもたらすので、生食せず加熱したり消化を助けるワインを添えて食べるよう医師たちは指導しています。

 

 

サクランボ、プラム、モモは同じバラ科の果実でも核果類に属します。バラ科サクラ属のサクランボは桜桃の木になり、アジア西部が原産。黒海沿岸からヨーロッパに伝わったのですが、イタリア語のciliegeは黒海地方の町名が語源との説があります。栄養面では鉄分の含有量が多く、「果肉からは最上の血液が作られます」とあるように、貧血予防になります。バラ科モモ属のモモは中国原産で、ペルシア経由でヨーロッパに広まりました。モモの種は漢方で桃仁(とうにん)と呼ばれ、血液循環を良くする働きがあります。東洋医学ではモモやアンズは体を温める陽の食物とされ、体を冷やすとする養生訓とは異なった立場をとることに注意。

 

 

プラム(スモモ)はバラ科スモモ属で中国原産。中国では健康を保つための五果があり、桃、杏(アンズ)、棗(ナツメ)、栗、そして李(スモモ)の五つです。プルーンは西洋スモモの一種で、プラムとともに鉄分が多く貧血に効果的。甘酸っぱいプラムの酸味の正体はリンゴ酸、クエン酸で、喉の渇きを癒し疲労回復に役立ちます。

 

 

バラ科ビワ属のビワの原産地は中国と日本で、ヨーロッパには近縁種で西洋カリンが知られます。古来、ビワは病人がいる家では薬代わりに栽培されました。キイチゴのブラックベリーはバラ科イチゴ属の植物。小核と呼ばれる多汁の小果の複合体で小果類に属し、今日でもそのシロップは口内炎や喉の炎症に用いられます。

 

 

ブドウ、イチジク、ザクロは液果類の果物です。クワ科イチジク属のイチジクについては世界最古のフルーツと言われ、地中海地方が原産。旧約聖書の創世記にアダムとイブがイチジクの葉で隠したと書かれています。ブドウとともに乾燥果実として、中東では5000年以上前から貯蔵され、薬としても幅広く用いられました。現在でも枝や葉にある乳液が固くなった皮膚を取り除くのに有効とされます。「イチジクは欲情をわかせ•••」とありますが、アラブ世界ではイチジクが男性生殖器と形が似ていることからその俗語になりました。ミソハギ科ザクロ属のザクロはペルシア原産。多汁で甘酸っぱい果肉を含む種子が多いため、神話では多産や豊穣のシンボルでした。ザクロの花や皮には収斂作用があり、その昔、下痢や喀血の治療に用いられました。

 

 

今日地中海式ダイエットの食卓に登場する果物は、古典的なイタリア料理ではコース料理の最後の一品でありデザートです。そこには季節の新鮮な果物が選ばれ、ヨーグルトなどの乳製品とともに供されます。乾燥果実のイチジクやナツメヤシは、アーモンドやクルミなどのナッツとともに、特に冬場に食されます。オリーヴと併せて、ブドウ、イチジク、ザクロは通称地中海四大果実と呼ばれます。これら地中海固有の果実を第一のグループとすると、第二のグループは、その起源はアジアではあるが北ヨーロッパ地域でよく育ったものが古代ギリシア•ローマ時代に伝わって、さまざまに品種改良を加えられたもので、リンゴ、洋ナシ、プラムなどが含まれ、第三のグループとしてインドやペルシア原産のオレンジ、レモン、モモがあり、こちらは古代には地中海地方にはなかった果実で、その後段階的に地中海地方にもたらされました。地中海果実の代名詞のようにみなされるみずみずしい柑橘類のオレンジやレモンの記述が養生訓に出てこないのはそのような理由によるのかも知れません。こうしてみると果実は、洋の東西を問わず、古来さまざまな薬効が知られ、現代医学もその医学的効力を証明しており、季節ごとに味覚の多様性を楽しみながら、健康のためにも毎日欠かさず食すべき食品であると言ってよいでしょう。

※新サレルノ養生訓の無断転載及び引用を固く禁止します。

 

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